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田中正造の心感じるカレンダー 天皇直訴から120年 佐野の市民団体製作 - 東京新聞

完成した2021年版カレンダーを解説する坂原辰男事務局長=足利市で

完成した2021年版カレンダーを解説する坂原辰男事務局長=足利市で

 足尾鉱毒事件の解決に人生をささげた政治家、田中正造(1841〜1913年)の思想を現代に生かす活動を続ける佐野市の市民団体「田中正造大学」が2021年版カレンダーを製作した。来年は正造の明治天皇直訴事件から120年。実物の直訴状を大きく紹介し、関係者は「決行直前まで修正を加えた正造の心を感じてほしい」と話している。 (梅村武史)

 美濃紙に筆で書き込まれた直訴状は、渡良瀬川流域に広まった「毒土」の除去や、足尾銅山での鉱業を中止して毒の流出を根絶するよう政府に命じることを要望している。正造が一九一二年の日記に記した「真の文明ハ山を荒(あら)さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし。」との信念が表れている。

 正造は、大逆事件で処刑された幸徳秋水に起草を依頼。修正は四十二カ所に及び、ほとんど正造一人で行っている。「(町村ノ)破壊」を「頽廃(たいはい)」に、「飢餓」を「貧苦疾病」に言い換えるなど、より正確に伝えようと言葉を選ぶ様子がうかがえる。修正だらけの直訴状を正造は清書することなく、そのまま使用した。

 カレンダーはB2判。横六十五センチ縦十センチの大きさで直訴状の写真を紹介した。同団体の坂原辰男事務局長(68)は「推敲(すいこう)された一字一字に正造の心がこもっている。目を凝らしてよく見てほしい」と話す。

 鉱毒事件で故郷を奪われた人々の姿を描いた版画家小口一郎(一九一四〜七九年)による正造の肖像画や版画作品「直訴」、佐野市に残る正造生家の写真も添えられている。一部五百円(税込み)。

 問い合わせは坂原事務局長=電0283(23)2896=へ。

<明治天皇直訴事件> 1901年12月10日昼、田中正造は東京・日比谷で、帝国議会開院式から帰る途中の明治天皇に近づこうと試みたが、つまずいて倒れ、警官に取り押さえられた。当時60歳。同夜釈放された。直訴は失敗したものの後日、新聞で大きく報じられ、運動の広がりにつながった。

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