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絶望からパラへ走り出す - 読売新聞

 その男性のことを知ったのは、私の同僚に届いた1通のメールがきっかけでした。

 「応援するつもりが逆に応援されている気持ちになるほど、毎日を懸命に生きています。彼の頑張りを見てあげてください」。送り主は、男性が少年野球に打ち込んでいた時の指導者。右脚を切断する大けがに負けず、パラリンピック出場を目指しているとつづられていました。

 私は高校卒業後にボクシングを始め、夢中になりました。性別や年齢を言い訳にせず、限界に挑む仲間の姿に何度も励まされてきました。同僚から話を聞き、どうしても男性に会ってみたくなりました。

 摂南大3年の近藤 はじめ さん(21)。大阪市の自宅を訪ねると、母親の 一子かずこ さん(49)と笑顔で迎えてくれました。

 近藤さんは中学で陸上を始め、大学入学後も迷わず陸上部に入りました。しかし、昨年12月、バイクを運転中にトラックと衝突し、右脚を膝上から失いました。約3週間後に意識が戻り、「パラリンピックに出る」と決意しますが、現実は厳しいものでした。

 リハビリでは、義足を着けた右脚に体重をかけることが怖くて階段や坂の上り下りもままならない状態。「死」が頭をよぎるほどの絶望感に襲われ、何度もインターネットで検索しました。「タイムマシンで過去に戻る」――。

 もちろんそんな方法はなく、現実と向き合うほかありませんが、周囲の支えが力になりました。一子さんがかけ続けたのは前向きな言葉でした。「できない自分を責めないで。何かできた自分を褒めてあげて」。障害を受け入れて人生を切り開いてほしいとの願いからです。「母の存在が大きかった」。近藤さんはそう感謝を口にしました。

 そして、もう一人。リハビリ中に、陸上部顧問の紹介で山本篤選手と知り合いました。走り幅跳びでメダルも獲得したパラ陸上の第一人者。その時は電話で話しただけでしたが、約3か月後の東京大会。躍動する山本選手の姿にくぎ付けになりました。

 「脚を失ってもあれだけできるんだと勇気をもらえた」

 リハビリにもますます力が入り、6分間の走行距離、90メートルの移動タイムは、病院の記録を塗り替えました。

 10月10日に退院。山本選手の誘いで1週間後にイベントに参加し、初めて義足で数十メートルを全力疾走しました。体がついていかずに転倒。「普通は転ぶのを恐れてあそこまで突っ込んで走れない」。山本選手の言葉が胸に響きました。

 今月26日に陸上部の練習の見学に伺いました。近藤さんは約1時間、脚の出し方のテンポや歩幅を入念にチェック。取材時と打って変わって、表情は真剣そのものでした。

 「将来パラリンピックでメダルを取るイメージを描いている。スポンサーが付けば、母に欲しいものを買ってあげようかな」。近藤さんは自らの可能性を信じ、目標に向かって走り出しています。

 失われたものにとらわれず、できることに全力で挑む姿はすでにパラリンピックの理念を体現しているようで、私も勇気をもらいました。

【今回の担当は】

 福本雅俊(ふくもと・まさとし) メキシコのボクシングジムに出稽古に行った経験がある。最近、自主トレを再開。45歳。

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